島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに都市部の医療と比較

〜第1章〜 column -沖縄へ渡った理由-

今回は日記から離れて、僕がなぜ家庭医を目指し、なぜ沖縄に辿り着いたかを話していきたいと思います。
私の両親は共働きで幼少期は祖母にとてもお世話になりました。祖母は健康でしたが、色々と不調の訴えが多く、どの病院にいっても『問題ない』といわれ、相手にしてくれないと話していました。こんな祖母を見ていたからか、「自分の身近な人が困った時に的確なアドバイスができるような医師になりたい」という漠然とした想いがありました。

赴任前に祖母と撮ったツーショット写真
大学時代はどの診療科もピンとこず、将来どの道に進むのか迷っていたある日、たまたま先輩に勧められた本を読み、『家庭医療』という言葉と出会いました。
自分に何か問題が起きた時、医学的知識がない人にとって、どの病院に行くべきか迷うことがあると思います。昨今、全科が揃っている大きな病院は紹介状がないと受診できないし、日本の開業医は〇〇胃腸内科、〇〇外科、〇〇整形など、ある程度の”診療科”に関する標榜をしています。患者自身がたくさんある診療科の中で自分の症状がどの科なのかを判断するのは、なかなか難しいものです。
 
そんな時、家庭医の登場です。
 
家庭医とは『地域住民の健康のために働く総合診療医』のことを指します。つまり、ある臓器を専門とするのではなく、"地域に密着し、診療科を制限せず、患者の社会背景までを考慮しながら患者さんを診ていくこと"を専門としている医者のことを言います。これを知った時、僕が想っていた将来の医師像は、「家庭医として、まず何でも相談できる”あの先生”となること」とだと確信しました。
 
そこで、島医者という選択肢が生まれました。島医者は良くも悪くも”あの先生”しかいません。島医者を目指すことが、自分が将来なりたい家庭医になる第一歩と考えたのでした。
僕が研修した沖縄県立中部病院は"島医者"を育てるプログラムがあり、医師5年目で沖縄の離島へ独り立ちできるように訓練を受けます。そのため、内科、外科、小児科、整形、産婦人科など『自分が1人で離島に行った時にどう対応すれば良いか』と言う目線で各科の先生が教えてくれます。5年目で独り立ち出来るくらい頑張ったら、自分の家庭医としてのキャリアとしてはいいスタートを切れると考えました。他の全国の研修病院も検討しましたが、医師5年目でひとつの"離島"を抱え、それに向けて準備できるプログラムはここしかなく、沖縄で研修することを決意しました。

大東神社の鳥居 南大東島のパワースポットの一つ
次回からはまた日記に戻ります。
「未知のウイルスとの闘い」についてお話しします。