島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに都市部の医療と比較

〜第1章〜 2020.3 -島民になるということ-

前回は赴任して"島医者"として直面した苦悩について話をしました。

今回は"島民"として苦悩した離島ならではの話をしたいと思います。

 

南大東島をはじめ、ほとんどの離島では食料は本島から輸送して仕入れを行なっています。

基本的に食料の輸送は"船"で行なっており、天候不良があるとしばらく食料難民になることがしばしばあります。

特に、南大東島ですぐに手に入れられない商品といえば、

食パン、牛乳、納豆!です。

南大東島に入る船は基本、週に1回。天候不良で中止になれば2週ほど船が入らないこともあります。そんな時に起きるのが食パン取り合い競争。

船が入った日のスーパーはパンの奪い合いでごった返しとなります。

つまり、上記の食品が欲しい時には、いつ船が入るかを常にアンテナを貼っていないといけません。

ここに関しては診療所事務(島民の方)にとても助けて頂きました。

赴任して初めて勝ち取った食パン

また、前回、赴任してすぐの苦悩で"不眠"について書きましたが、実は不眠の原因がもう一つありました。

それは"製糖工場の稼働する音"でした。

南大東島の主軸の産業である、サトウキビ。

サトウキビから黒糖を作る工場が製糖期になると24時間稼働します。

(〜序章〜 -南大東島その2-参照)

診療所医師住宅から150mくらいのところに製糖工場があるため深夜に工場が稼働している音がかなり響いてきます。

低音でゴーっという音や金属がカンカンなっている音で気になりだすと眠れませんでした。

赴任してすぐの睡眠は医師携帯と工場稼働音との闘いでした。笑

かつてサトウキビを運ぶために島内を走っていた"シュガートレイン"

 

赴任した3月は島医者として、島民として苦難が押し寄せてきた日々でした。

次回から4月。初めての急患搬送がありました。

そのときのことを個人情報には気をつけながら話したいと思います。