島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに都市部の医療と比較

〜第1章〜 2020.6 -最期まで南大東に居たい- その1

前回は離島の生活におけるネットショッピングについて話をさせていただきました。今回は、赴任して初めて、最期までお看取りをさせていただいた方について、話をしていきたいと思います。※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。

101歳女性(以下、おばぁ)が家族に連れられ、診療所へやってきました。下痢があってご飯が食べれなくなっていましたが、腸炎として補液をしながら様子をみることとしました。2日経っても症状の改善がなく、状態が悪くなってきたため、入院も含め、今後どうしていくかの相談をしました。おばぁはぐったりしており、話ができる状態ではなかったため、同居している次男と話をしました。次男によると「お母さんは『最期は南大東島に居たい。本島に行かないでここで死にたい。』と明確な意思がありました。」と話しており、南大東島で最期の時間を過ごしてもらうこととしました。おばぁは数ヶ月前からADL(Activities of Daily Living:トイレ、風呂などの日常動作)が低下しており、自分の家ではなく、次男宅で過ごしていました。

離島での終末期医療

南大東島で終末期医療を行うとき、離島には訪問看護ステーションやヘルパーなどのシステムがないため、村の有志(社協職員、保健師など)の方々の協力が必要となります。有志の方と相談し、おばぁの最期をどうサポートしていくかの話し合いを次男も含め行いました。ここ最近、仕切りに「自分の家に帰りたい」と話していたこと、体調が悪いにも関わらず、ずっと「○○(長男)はご飯食べたか?」と長男のことを気にかけていることを知りました。長男は長年の糖尿病により足が壊死(糖尿病の合併症)し、入院しており、その時は島にいませんでした。次男の希望としては、長男が島に帰ってきて、長男が帰ってきた家(おばぁの家)に連れて帰ることでした。その想いを受け、まずは状態が安定するまで訪問診療を週2回の予定で行い、安定したらおばぁの自宅へ移動することとしました。

南大東の"猫" 

家族の準備不足

長男は入院中に左下肢を切断することとなり、リハビリテーションをしている途中でした。しかし、母(おばぁ)の状態が悪いことを知り、島での長男の介護体制が不十分であるにも関わらず、退院を決定し、1週間後に帰島予定となりました。おばぁのお看取りをするだけでも根気のいることですが、リハビリがまだ完全でない長男も帰ってくることに、家族も私自身もかなりの不安を抱いていました。

長男が帰島する予定だった日の夕方、次男よりおばぁが発熱していると連絡があり、臨時往診を行いました。診察の結果、肺炎になっており、抗生剤の治療を開始しました。検査を終え、抗生剤を投与している最中に長男が到着し、体をなんとか家族に支えられながらおばぁのもとへとやってきました。おばぁは発熱で意識が朦朧としており、目をきちんと開けることができませんでしたが、長男と面会することができました。

 

今回は、南大東島に赴任後、初めてのお看取りをすることになったおばぁの前編について話をしました。ずっと心待ちにしていた長男と再会し、その後、どのように最後を迎えたのか。次回、後編を話していきたいと思います。※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。