島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに都市部の医療と比較

〜第1章〜 2020.5 -島医者は甘くない- その2

前回は心肺停止した女性の蘇生に成功したものの、再度天候不良のため自衛隊が迎えに来れない時の話をしました。果たして迎えが無事に来れたのか、その続きの話をしたいと思います。※個人情報の観点から症例の詳細は改良してあります。

19時、搬送担当医師より連絡が入りました。

搬送医師「今から久米島へ搬送に向かうのでしばらく連絡がとれなくなります。よろしくお願いします。」

菊池「こちらが優先ではなかったのですか。」

搬送医師「自衛隊の判断なのですみません。」

菊池「・・・わかりました。」

一瞬、唖然となり、怒りが湧いてきましたが、2日前の出来事があったため、『離島はこういうところだ。』とすぐに納得をすることができました。とにかく、この若者の命を繋がなければならないと考え、マスク換気を続けました。

21時、最後の検査キットを使用し、呼吸状態を確認するとpH 7.351, CO2 40.8mmHg (ほぼ正常値に戻っている)と改善が見られたため、ひとまず、ホッとしました。しかし、再度、自衛隊に連絡すると明日の朝まで自衛隊が迎えにこれる見込みがないことがわかりました。

幸い、状態は安定しており、現在の治療を続けていくこととしました。しかし、診療所には人工呼吸器がないため、朝まで人の手でマスク換気をしなければなりませんでした。翌日も診療があるため、それを考えると休憩も取らないと行けませんでした。看護師と相談し、消防団に状況を説明し、マスク換気のやり方を教え、手伝ってもらうことにしました。私と看護師は交互に少しだけ仮眠をとり、朝までなんとかやり過ごすこととしました。

翌朝6時20分、自衛隊から連絡が入り、7時35分に自衛隊が南大東空港へ到着するとのことで準備を行い、南大東空港へ向かいました。

那覇と南大東の間の天候が悪く、少し時間がかかりましたが、8時に自衛隊が到着し、搬送医師へ引き継ぐことができました。

迎えにきてくれた自衛隊飛行機 前回と景色が似ています。

8時30分に放心状態の中診療所へ戻り、9時から通常診療を開始しました。その日は島民も気を使ってくれたのか、外来人数も少なく、なんとか乗り切ることができました。

その夜はたらふく夕飯を食べ、爆睡しました。

ふるさと納税で届いたカレーを爆食い

後日、その女性は無事に病院へ着き、ICU(集中治療室)へ入り、治療を継続したと聞きました。

※個人情報の観点から症例の詳細は改良してあります。

以上、2回に渡り、心肺蘇生後に搬送できなかった経験を書きました。まるで島に『お前はこの島でやっていけるのか?』と試されているようでした。しかし、2回連続で同じような事例が続き、離島はこういうところなんだ。と納得できる自分もいて、少しずつ環境に順応してきている感覚もありました。次回は話題を変えて普段の生活について書きます。