島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに家庭医療学を広めたい

〜第1章〜 2020.3 -島医者になるということ-

前回はなぜ私が南大東島を選んだかについて話をさせていただきました。

今回からは時系列で、第1章を島医者1年目、第2章を2年目として書いて行きたいと思います。

また、現在私が働いている都市部診療所との比較も間に織り交ぜていく予定です。

 

2020.3.26、南大東島に赴任しました。

赴任する直前は沖縄県立八重山病院(石垣島)で働いており、引っ越しを済ませ、諸事情で東京の実家に帰省をしてから南大東へ向かいました。

婚約者(現 妻)に羽田空港で見送られ、羽田空港→那覇空港→南大東空港と経由して南大東島に辿り着きました。

前任医師から診療所、医師住宅などの引き継ぎを終え、いよいよ島医者生活が始まりました。

前任医師と診療所前にて



島医者は診療所から徒歩5秒(近すぎる!笑)の医師住宅に住み、平日(9時〜17時)の診療業務を行なっています。

しかし、島にはたった一人しか医師がいないため"24時間365日"島民に何かあれば対応をしなければなりません。

島医者は医師専用携帯を常に持って生活をしています。

診療所の休みは土日・祝日とありますが、いつ呼ばれるかわからない不安を抱えながら休日を過ごすことになります。

 

赴任して最初の苦悩は、"不眠"でした。

 

医師携帯がいつ鳴るのかという不安で夜が眠れず、さらに、朝も5時に目が覚め、常にソワソワしていました。

今になればいい思い出ですが、当時は一杯一杯でした。

24時間365日持つ医師携帯



そして、何よりも私が赴任した時期は未知なる"新型コロナウイルス"の流行開始。

 

2020年3月に芸能人の志村けんさんが亡くなり、新型コロナへの恐怖が日本中を包み込んでいました。南大東島も例外ではありません。

 

島内で発生した場合、医療機関は無床診療所のみ。急変してもすぐに高度な対応ができないことは自明でした。

 

それもあり、島民の恐怖感はかなり強く、赴任した翌日には村役場の新型コロナ対策会議に参加し、意見を求められました。

離島に来るために色々勉強はしていましたが、未曾有の感染症に対してどのような対策を講じればいいのかわからず、あらゆる手段を使って情報を集め、南大東島で何ができるのかを必死で考えました。

 

赴任後すぐ、このような苦悩が押し寄せ、島医者を2年間続けることができるのか。。。

一瞬で自信がなくなりましたが、色々な人の支えで乗り越えることができました。

支えてくれた方々に感謝の気持ちを込めつつ、これから順を追ってブログを書いて行きたいと思います。

次回は南大東島にきて、"島民"として直面した苦悩について話して行きたいと思います。