島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに都市部の医療と比較

〜第1章〜 2020.5 -離島の洗礼- その2

前回では、意識障害とショック状態の患者を搬送しようと試みるも、南大東島周囲の濃霧により自衛隊が来ることが出来ず、絶望の淵に立たされていました。今回は、その後の話をしていきたいと思います。※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。

絶望の淵に立たされ後、患者をただ見守り、家族を励まし、時が過ぎていきました。夕方、自衛隊から連絡が入りました。『南大東まで向かってはみるが、島周囲の天候によっては引き返す可能性がある』と連絡を受けました。今まで飛ぶことすらできない状態だったため、わずかな希望に期待し、救急車で空港まで向かい待つこととしました。

自衛隊の飛行機が南大東島上空まで来てくれましたが、濃い霧が中々晴れないため、姿は見えず、エンジンの音が鳴り響いていました。その後、何度か着陸を試みましたが、視界不良でできませんでした。上空を1時間旋回し続けてたあと、上空より連絡が来ました。

『霧が中々晴れないため、最後1回だけ、着陸を試みて、できなければ引き返します。』

さらに、この日を逃すと数日間天候が悪く、しばらく、南大東まで来ることすらできないような最悪の状況でした。すぐそこまで搬送の飛行機が来ているにもかかわらず、状態が悪化する患者に何もできない状況に絶望しながらも、看護師、家族と一緒に救急車の中で祈りました。そんな中、濃い霧で視界がほとんど見えない雲の合間から飛行機が現れ、自衛隊の勇敢な行動に心の底から感動しました。そして、無事に着陸。その場では隠していましたが、目頭が熱くなっていました。搬送のために来てくれた医師に引き継ぎ、濃い霧に消えていく機体を見送り、無事に患者を搬送することができました。

濃い霧の中から現れた自衛隊航空機

診療所へ救急車で戻り、看護師と話していると『先生、泣いてたね』と泣いていたことがバレていました。患者はICUへ入院となり、緊急透析を行い、経過は良好で、元気な姿で南大東に帰ってきてくれました。

このように、赴任後1ヶ月で離島の洗礼を受けました。離島では天候不良のため搬送できず、数日間島内で対応しなければならないことが突発的に発生します。ただ、離島にある限られた資源では、完璧な医療ができるわけではありません。資源を考えながら検査、治療を行いますが、それが患者にとって危害を与えてはいけません。限られた環境の中で最善な対応ができるようにマネージメントする力が島医者には必要なのだと感じました。

※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。

次回はcolumnとして、現在、東京の都市部家庭医をやっている中、離島との環境における違いについて救急搬送という視点で話していきたいと思います。