島医者の離島日記 〜"あの先生"であったこと〜

島医者の経験をもとに家庭医療学を広めたい

〜第1章〜 2020.5 -離島の洗礼- その1

前回は、大変な中でも嬉しい贈り物に励まされながら頑張っているお話をしました。今回は急患が発生した際に受けた離島の洗礼についてお話をします。※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。

夏の暑さを感じ始める5月、南大東では濃霧が発生することがあります。ある日の休日、夕方に医師携帯が鳴りました。高齢男性が意識が悪くなったため診察をしてほしいとのことでした。救急車で運ばれたときは意識障害、ショック状態でした。検査を行うと糖尿病性ケトアシドーシス(pH7.1)/急性腎障害(Cre10.2)、高カリウム血症(K7.2)の状態でした。緊急搬送が必要な状態のためすぐに自衛隊ヘリの要請を行いました。しかし、その日は濃霧が発生しており、次の日まで自衛隊は飛ぶことができないと連絡を受けました。それを聞いた時に愕然としましたが、"離島の洗礼"と思い翌朝まで徹夜で管理することとしました。医療関係者なら分かるかと思いますが、この状態は病院であればICU(集中治療室)で管理するような重症度でした。1時間おきに採血を行い、状態を確認していましたが、朝方になり採血できるキットがあと3つしかないことに気付きました。離島は医療資源に限りがあり、病院と同じように管理をすると物資が枯渇します。それに気付き、そこからは理想の管理ではなく、患者の状態を最低限で見れるように考えながら検査を行いました。

翌日の朝になり、再度自衛隊に問い合わせをすると濃霧が晴れないためまだ出動できないという返事でした。治療の甲斐もなく、患者の状態は悪化し、緊急透析をしないと改善しない状態でした。目の前の患者に治療法がわかっているのにこれ以上何もできないことが、こんなに不甲斐なく、怖いものなのだと感じました。しかし、そこで冷静さを失ってはスタッフや家族に不安を与えるだけと、毅然と立ち振る舞いました。

 

ここまで、急変する患者を目の前に何もできず、スタッフの前では冷静に振る舞っていましたが、心の中はパニック状態。次回、自衛隊が南大東までたどり着けるのか、そして、無事に搬送することができたのか。について話していきたいと思います。

※個人情報保護の観点から症例の詳細は改変してあります。

〜第1章〜 2020.5 -嬉しい贈り物-

前回は、赴任後初めてのGWを通して、休日の過ごし方について話をしました。今回は、5月の初めに届いた"嬉しい贈り物"の話をします。

南大東島の流通

南大東島の流通は飛行機(1日2便)か船(週1回)であり、基本的には船で荷物が運ばれてきます。住んでいた感覚としてはゆうパックが最強(すぐに届く)です。Amazonで頼むと大体2-3週間で届きます。島内にはクロネコヤマト(といってもたった1人)があり、自宅まで運んでくれますが、佐川急便は島内にないため、港まで荷物をとりにいかなければなりません。

誕生日は踏んだり蹴ったりな1日でしたが、婚約者(現 妻)から誕生日プレゼントを含め、色々と贈り物が届きました。3月に婚約者と離れて暮らす前に結婚指輪を作成し、それが完成し届いたのです。

結婚指輪にテンションが上がってニヤけている

様々な"贈り物"

この写真を見た婚約者から『痩せたね』と言われました。それもそのはず、離島に赴任してから最大で9kgも体重が減りました。食事はきちんと摂っていたので、何が原因かと考えてみるとお酒を飲まなくなったことでした。何度も書いているように、島医者は24時間、365日オンコールのため、お酒を飲んだ時に『もし呼ばれたら』と考えるとお酒は飲めませんでした。割とお酒は好きな方で、赴任前に住んでいたのが石垣島だったこともあり、美味しい食べ物やお酒をかなり摂取していました。離島に赴任してからお酒を全く飲まなくなったところ、みるみるうちに体重が落ちていったのです。実は、私は30代にして少し血圧が高めでしたが、それも痩せたことで改善していきました。これは自分の実体験であると同時に、その後の患者指導でも役に立つことになります。

船からクレーンで荷下ろし。荷物以外に"人"も運びます。

このように愛のこもったプレゼントや体が健康になるという"贈り物"を受け取り、島民としての生活を過ごしていました。

次回はそんな中、また急患が発生し、離島独特の洗礼を受けることになります。その時の島医者の苦悩をお話しします。※事例は個人情報保護のため改変しております。

〜第1章〜 2020.5 -初めてのGW-

前回は誕生日に良くないことが起こるジンクスのお話をしました。今回からは5月に入り、赴任後初めてのゴールデンウィーク(GW)についてお話しします。

休みだけど休めない

南大東診療所は基本的に土、日、祝日が休みで通常診療は行っていません。しかし、島には私一人しか医師がいないため、島民に何かがあれば対応をします。休日は自宅待機してないといけないわけではありませんが、今回は赴任して初めてのGWということと、コロナ禍であまり出歩くことができず、基本的にはやーぐまい(沖縄の方言で"家に篭る")していました。自宅で待機している間は、2020年度末に提出をしなければならない総合診療専門医の課題を作成することにしました。GWで連休ではありますが、いつ呼ばれるかわからないというプレッシャーがあり、なかなか"お休みモード"にはなれませんでした。

大東マグロ。赤みがぶりっとしてて美味しい。

新しい休日の過ごし方

そこで、休日だからといってダラダラ遅くまで寝ないで活動をすることにしました。いわゆる"朝活"です。南大東島には大東寿司、マグロのジャーキー、カボチャなど名物がありますが、大東羊羹も名物の一つです。大東羊羹を島民の方から頂いたのを思い出して小豆トーストを作ることにしました。朝8時までには起床し、朝食を摂りながら、コーヒーを飲んで1日を始めると、とても気分が良いことに気づきました。

小豆トーストとコーヒー。これからだんだんおしゃれさを追求し始めます。笑

それ以降、休日はある程度早い時間に起きて、朝活を始めることにしました。このように初めてのGWは朝活に目覚めるきっかけとなりました。次回は"嬉しい贈り物"について少し話します。

〜第1章〜 2020.4 -僕の誕生日に起きた出来事-

前回は離島における妊婦健診についてお話ししました。今回は真面目な内容ではないので気軽に読んでください。

嬉しくない誕生日

赴任してから約1ヶ月が過ぎた頃、私の誕生日がやってきました。私は"誕生日によくないことが起きる"というジンクスがあります 笑。 同じような方もいますでしょうか?研修時代から、誕生日は基本的に当直になることが多く、その日に限って荒れる(急患がたくさん発生する)ことが多かったように感じます。

2020.4.28、この日は週1回(火曜日)の小児の予防接種日でしたが、その時事件が発生しました。そうです。針刺をしました。詳細は省きますが、僕と対象者の採血を行い、感染症がないかの確認をしないといけなくなりました。そして、労災として届け出をするために大量の書類を書く羽目に。。(かなり大変。経験した方はわかると思います。)

唯一の癒しだったのが、診療所メンバーが僕の誕生日ケーキを用意してくれていたことでした。

診療所メンバーが用意してくれた誕生日ケーキ

しかし、帰宅後、ひょんなことで遠隔(北九州)にいる婚約者とテレビ電話で喧嘩をし、さらに、22時頃には時間外診療で呼び出しを受けました。

耳の中がザワザワする

患者は"耳の中がザワザワしていて虫が入った"という方でした。『そんな馬鹿な』と思いながら診察をすると、耳の中で動く物体を発見。

実は"虫"は下の写真(右)のように教科書の表紙になるような"耳異物"の代表ではありますが、私はそれまで実際に経験がなく、この教科書を参照しながらなんとか虫を取り出すことができました。(虫が苦手な人は写真(左)を飛ばしてください。)

これで虫が取れなかったら最悪な誕生日でしたが。笑

実際に入っていた虫(左)、教科書の表紙(右)

このように、誕生日はジンクスの通り様々な経験をさせて頂き、離島初めての誕生日はとっても思い出の残る誕生日となりました。

次回から5月。ゴールデンウィークはコロナもありほとんど家から出ませんでしたが、ちょっとした"楽しみの習慣"を作ることができました。このことについて話していきたいと思います。

〜第1章〜 2020.4 -未知のウイルスとの闘い- 不安を抱えながらの妊婦健診

前回は消防団との連携についての話をしました。今回は新型コロナ感染を恐れ、妊婦健診があるけど本島へいきたくない!という妊婦さん達にどのように対応していったかを話したいと思います。

南大東島の妊婦さん

南大東島には通年、妊婦さんが10名前後います。基本的に妊婦健診は本島で行っており、村の少子化対策として妊婦健診の際にかかる渡航費は村が全額負担してくれます。診療所で妊婦健診を受ける人は時々いて、年に1-2人程度でした。また、飛行機は妊娠35週以降に搭乗ができないため、それまでには本島へ渡らなければならないというのも離島における妊婦さんの特徴です。しかし、新型コロナの流行により、妊婦さんたちが本島へ渡る事に不安があり、診療所での妊婦健診の希望者が一気に増えました。

南農場のカボチャとパイナップル 南大東島のカボチャはめちゃ美味い!

不安を抱えながらの妊婦健診

私自身、島医者にとって産婦人科領域を診れるかどうかは大事なことと考えており、研修中から他の同期よりも長い期間産婦人科を選択していました。さらに、緊急的な分娩は取れるように講習(BLSO/ALSO合格)も受け、ある程度はこの領域を見れるスキルはありましたが、本格的な妊婦健診はもちろん初めてでした。

コロナ感染が不安なのはわかりますが、患者さんが診療所で妊婦健診を受けることでそれがデメリットになっては全く意味がありません。この時も、私の研修病院の産婦人科専門医と協力しながら行うこととしました。そして、産婦人科医のアドバイスを参考に以下のルールを決めました。

①かかりつけの病院に診療所で妊婦健診をしていいかを確認する(HighRiskの妊婦でないか確認する)

②紹介状を作成して(注意点を教えて)もらい、それに対して返書をする(こちらの検査データを情報提供する)

③不明な点は一旦専門医に相談し、必要によってはすぐに本島へ行ってもらう

離島で行った妊婦健診時のエコー画像(赤ちゃんの頭)

このルールをもとに4-5名の妊婦さんに対して妊婦健診を行いました。その中でハイリスクな妊婦さんもいたため、その方は本島へ行ってもらい、きちんと産婦人科医に妊婦健診をしてもらいました。その子たちは無事に産まれ、南大東へ帰ってくることができました。

このように専門医と連携しながら、適切に評価をし、お母さんと赤ちゃんに不利益が出ないように何とか乗り越えることができました。

次回、少し真面目な話からは外れてしまいますが、2020.4.28、私の誕生日に起きた出来事を話したいと思います。

〜第1章〜 2020.4 -未知のウイルスとの闘い- 消防団との連携

前回は診療所における新型コロナ対策の話をしました。今回は消防団との連携についてですが、まず、"消防団"という言葉を知らない方もいると思うので、説明をしていきたいと思います。 

消防団とは

消防団は「市町村に設置される非常備の消防機関」のことを指します。南大東村の場合、団員のほとんどが役場職員で、本業と兼務で活躍してくださっています。業務内容は、患者搬送(救急車の運転)、時間外診療の付き添い(家族などが付き添えない場合)、急患で診療所の人員が足りない場合の応援、などです。離島では人員不足のため、診療所の医師と看護師ではどうにもならない時があり、いつも消防団の皆さんが助けてくださっていました。消防団員は基本的に役場職員のため、救急隊のように医学的知識を学校などで勉強してきていません。しかし、南大東では歴代の医師と密に連携していたため、知識も豊富でとても力強い存在でした。そこで、この未知のウイルスとの闘いにも消防団の協力は不可欠でした。

"夕日の広場"からの景色

2020.4.7、消防団長からの依頼もあり、消防団の新型コロナへの知識を深めるために講義を行い、防護服の脱着の仕方などを教えることとなりました。

安全の確保

感染患者の対応をしてもらうには消防団の安全は絶対に確保しないと行けません。新型コロナの基本的な知識、感染者へ接触する時の注意点などを中心に説明させてもらいました。しかし、特に防護服の脱着は、当時、医療者でも混乱していた状況であり、1回の講義では伝えることが難しく、後日、仕事おわりに何班かに別れ、診療所まで勉強をしてもらうことになりました。

この時は、消防団が所持している"化学防護服"で指導をしました。

このように診療所医師と消防団でコミュニケーションをとりながら、いざという時に備え、訓練をしていました。南大東島の消防団はとても積極的で、このあとも勉強会を続け、窮地を何度も助けてもらうこととなります。

次回は、新型コロナへの恐怖によって、島内の妊婦さんたちが本島での妊婦健診に行けない事態が発生しました。この事態をどう乗り越えたかについて書いていきたいと思います。

〜第1章〜 2020.4 -未知のウイルスとの闘い- 離島診療所でのコロナ対策

前回は日記から外れて私がなぜ家庭医を目指し、沖縄へ渡ったか、について書きました。今回からまた日記に戻りたいと思います。

 

2020.4.3、さっそく村長にコロナ対策本部の会議に呼ばれ、医師としての意見を求められました。感染症の専門知識も豊富ではなく、未知のウイルスへの対策のため、かなり困惑しながら参加したことを覚えています。誤った情報を伝えないように、知っている範囲の知識を振り絞って、なんとか会議を乗り切りました。

その後、診療所としてどのようにコロナ対策を行うかを考えました。

新型コロナ診療所マニュアルの作成

まず、診療所のコロナ対策を診療所メンバーと共有するためにもマニュアルを作成することにしました。このマニュアルを作る上で、元々私が所属していた感染症内科の先生に添削をしてもらいながら完成させていきました。

ここで大事だと感じたことは、専門医の先生とコネクションを作っておくことの大切さを感じました。離島に1人で赴任するために訓練してきたとはいえ、全てを完璧に網羅することは不可能です。そこで、私は本島で研修をしている時から、各診療科の専門医と相談できる関係になっておくことを意識していました。各科に相談できる専門医がいることは、自分のためだけでなく、患者はもちろん、島民のためにもなっていることを実感しました。

謎のポーズ(左) この時はまだ南大東でコロナと遭遇するとは思ってもいなかった
マスキングテープでゾーンニング(右)

情報収集

そして、一番重要だったことが情報収集です。未知のウイルスの実態は日々更新されていたため、適切な情報を素早く収集しなければなりませんでした。そこで活用したのがTwitter、Facebookでした。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)はさまざまな情報が流れており、中には間違った情報も混在します。しかし、離島というへき地にいる上で、SNSを上手に活用することは必須のスキルだったように思います。情報収集する上で意識していたことは、情報を発信している人の信頼性と、情報内容の発信元を確認すること、でした。人の信頼性は知っている先生を中心にフォローしましたが、有名な先生の中にも誤った情報を発信している方も少なくはありません。発信している内容元が特定できないものはシャットアウトしていました。逆に匿名であってもしっかりとした論文(いわゆるエビデンス)を参照している情報などは活用していました。

南大東診療所マニュアル 何回も何回も改定しました。。。

 

次回は、離島特有の"消防団"との連携について話します。